*雨ふり*


  「猿野ッ!犬飼ッ!罰として2人で居残り練習だ!」


 いつもどおり騒いでいただけなのだが、いつもより少しだけうるさかったらしい。
 

 練習が終わってヒゲに怒鳴られ、オレはちょっとだけ反省した。 



  (でも、犬飼と居残り練習だなんて、いくらなんでも酷すぎる!!)



 抗議の声を上げようとしたら、牛尾キャプテンから笑顔で釘を刺された。



  「せっかくだから、キャッチボールでもしてみたらどうかな?
   案外、2人とも新しい発見があるかもしれないよ」



 むぅ。牛尾キャプテンにそういわれるなら、仕方ないか。


 犬飼のほうを伺うと、同じようにムっとしながらも黙って受け入れていた。


 グローブをにぎにぎして、感触を確かめている。


 オレの視線に気づくと、


  
  「さっさと終わらせるぞ、猿。」


 
 早くボールを投げろと、暗に言った。


 確かにとっとと終わらせるほうが得策かもしれない。


 そういえば、天気は曇り空。

 
 早いとこ終わらせて帰らないと、こういう天気はあっという間にドシャブリに変わってしまう。


 オレが諦めてグローブを嵌め直したとき。



  「ちなみに、2000球。落とさずにだぞ〜」


 ヒゲからの追加指令。


 
  (なんですとッ!?)



 無理だといおうとするも、ヒゲはもうすでに練習後の一服に入って女子マネと楽しそうにしていた。


 女子マネの前で、出来ませんと言うのは男がすたる。 


 やけになって犬飼に思い切りボールを投げつけた。
 


  (ムキーッ!)
 


 



 


 

 初めてから小一時間。


 雨が少しづつ降り始めた。


 いやだなと思っていたら、やはり雨でボールが手からすべってしまった。


 スナップが効き切らずに、威力のない球が地面に向かって落ちる。

 
  (あ、やべッ!!) 


 慌てて自分でボールを処理しようとすると、それより早く犬飼が走りこんできて、ボールを掬い上げ、そのままオレに放ってきた。


 ミットからダイレクトに返したその球は、すぽっとオレのミットに収まった。


 そのとき(というか、はじめた時からずっと思っていたのだが)、オレは不本意にも嫌な事実に気づいてしまっていた。 



  (やっぱり、こいつ、上手い。)



 ピッチャーだからか、ミットにはいってもなお伸び続けるような、ずしりとしたボールを放る。


 オレも、悔しくて思い切りボールを投げる。


 そうすると自然フォームが崩れて、見事に逸れていってしまう球を、犬飼は最小限の動きだけで見事にキャッチするのだった。


 
 (チクショー…!!!)


 
 なんだか、野球歴というか、そういうものを見せ付けられているようで、オレは心の中で悔しさを思い切り叫んだ。


 その途端、球がポロリとミットから零れてしまう。



  「しっかりやれ、バカ猿」


 
 すかさず嫌味をいう犬飼。
 

 ムっとするも、落としたのは自分な訳で。


 黙って地面に落ちたボールを拾い上げた。


 落ちたボールは、泥で汚れてしまった。


 それを、ゴシゴシと練習着でぬぐって、オレは渾身の力で犬飼に投げつけた。


 こうなれば、意地と根性の問題だと思った。
 

  (なんとしても、もう1度も落とさず、犬飼にギャフンといわせてやる!!)


 オレは心の中でファイティングポーズをとり、


 
  「来いや〜〜〜〜〜〜!!!!!」



 大声で叫んだのだった。
 

 









 




 気が付いたら、外はすっかり日が落ちていた。


 雨が服に染み込んで、すっかり重たくなってしまった。


 地面も、少しづつぬかるんでくる。


 ドシャブリと呼べる雨になっても、お互い「もうやめよう」とはいわなかった。


 最初は「打倒犬飼!」を掲げていたオレも、1000球を超えたときから、何も考えられなくなってきた。


 犬飼の投球のペースも、いつしか体が覚えてきた。


 捕ってすぐ投げ返す、その瞬発力のよさに、十二支の主力ピッチャーという言葉の重みが分かった気がした。


 必死で犬飼の速さに喰らいついていると、いつしかボールにだけしか、神経が向かわないようになってくる。 



  「1991ッ」


  「1992ッ!」



 2人分の呼吸が揃って空気に溶ける。


 
 アイツが踏み出し、オレが引く。
 
 

 犬飼のサイドスローの無駄のない動きに見惚れながら、体は無意識に捕球する体勢を整える。


  
 ボールと、犬飼と自分だけしかいない世界。


 いつしかこの空間心地よすぎて、キャッチボールが終わらなければいいな、なんて考えていた。


 
  「1993ッ」


 
  「1994ッ!」



 いつだってオレのミットにまっすぐ投げる犬飼のことを、ほんのすこし、ほんとうにすこしだけ、尊敬してきてしまっている。


  
  「1995ッ」



  「1996ッ!!」


 
 2人して、息が乱れる。


 なんのためにやっているのか、なんてことはお互いわからなくなってきた。


 
 ボールも、ろくに見えない。


 ただ、感覚で相手をさぐり、感覚だけで捕球する。


 正面にいる相手に、全身でボールを返す。




  「1997ッ」



  「1998ッ!!!」



 
 ドシャブリの雨が口の中に入ってくるのも構わず、2人して大声で叫ぶ。
 

 腹筋に力を入れて、足を踏ん張って、体を捻る。


 鍛えているはずの側筋が、ギリギリと痛む。



  「1999ッ」



  「2000ッ!!」



 

 犬飼が捕って、終りだー!!!


 嬉しくなって、大きく踏み込みすぎてしまったせいか。


 投げた瞬間、泥に足をとられて、オレは体勢を崩してしまった。


 体が、顔面から地面に近づいていく


 ボールも、犬飼ではなく地面に向かって落ちていく。


  
  (ごめん犬飼…!!)


 
 心の中で叫び、オレは襲ってくるであろう痛みに身構えた。



 だが、体がぶつかったのは、地面ではなく、固いけれどもっと違うなにかで。



  「課題、終わりだな。」


 
 そんな声が耳元から聞こえてきた。


 
  
   (あれ?)



 一瞬自分の状況が把握できなくて、きょろきょろしていたら、頭をミットで殴られた。


 
  「最後くらい、ちゃんと投げろ。」



 そういわれて見せられた犬飼のミットのなかには、泥だらけのボールが一つ。



  「分かったら、さっさとどけ。帰るぞ。」


 
 どうやら、オレは犬飼に抱きとめられたみたいだった。




  スライディングで捕球したのなんて初めてだ。


  おまえを助けた訳じゃなくて、捕球の拍子にたまたま、だ。



 犬飼はそんなことをぶつぶつと、やけに饒舌に語る。


 いつものオレなら言い返すところだけれど。


 そのときのオレは、なんだか、いろいろな感情が心に浮かんできてしまい。

 
 とにかく、とてもとても嬉しくなってしまい。



 感情のまま、犬飼の首にギュっと抱きついてしまった。




  「犬ーッッッ!!!」



 最高に幸せな気分で犬飼の肩に顔を埋める。



 「ありがとう」とか「よくやった」とか、「見直した!」とか「おまえ最高!」とか。


 自分でも訳が分からないくらい、とにかくとにかく嬉しくて
 犬飼の腕の中で叫びながら、バタバタしてしまった。


 
 

 雨の音がだんだん、大きくなっていく。


 いいかげん雨に体温が奪われたころ、やっと体が疲れて、はしゃぎ終わったオレは犬飼の上でぐてっと力尽きた。



  「へへへ、疲れたぁ〜!」



 自然、笑みがこぼれてくる。


 全身泥だらけで、体はびしょぬれでどうしようもない状態だったけれど、とてもとても幸せだった。


  
 いまだニヘニヘと笑うオレを、気が付けば犬飼が見つめていた。



  (あれ、コイツってこんなに整った顔してたっけ?)


 
 そういや、コイツをこんなに間近でみたことなかったなぁ。


 犬飼を見つめ返し、そんなノンキなことを考えていたら、ギュっと体を抱きしめられた。



  (え?…ッ、へっ??)



 なにすんだ、とか、やめろ、とか。
 そういった言葉が咄嗟には出てこなかった。 


 ただひたすら、頭の上でハテナマークを浮かべているオレを、
 犬飼はさらに力を込めて抱きしめる。




 (え〜〜〜!?!?)
 



 どういうこと?オレが抱きしめたからこれはお返し?それとも甘えモードの犬?


 ぐるぐる考え込んでいるオレをのこして、雨はまだ降り注ぐ。



  (ああ、このままじゃ風邪引いちまう…)



 そんなことを考えていたら、なぜか犬飼とまた目が合って。


 
  (キスされるッ!)
 


 そう思っって身構えたら、犬飼はしばらくオレを見つめたあと
 急にオレを地面に落とした。


 
  「なにすんだッ!!」



   
 ドスンとした衝撃に驚いて叫ぶも、犬飼はしらっとして、オレに言った。



 
  「いつまでもこんなトコいたら風邪ひくぞ。
   それとも、やっぱりおまえは風邪ひかないのか?」


 だって馬鹿だから。

  
 ご丁寧にも「プ。」と付け加えて言い放つと、犬飼はずかずかと部室に向かっていった。


 
  「おいッ!ちょっと待てよ!ふざけんなバカ犬!!」



 おまえこそ犬なんだから風邪ひかねーんだろッ!
 毛皮たっぷりのワンちゃんどこですか〜〜!!

  
 大きな声で叫び返すが、犬飼はまるで聞こえないかのように先を歩いていってしまった。



  (クソッ、なんだこの敗北感ッ!)



 ドキドキしちまったし。


 なんか、期待しちまったし。  


 不覚にも、犬飼の腕の中を温かい、なんて思っちまったし。



 他にもいろいろ、考えてはいけないことを考えてしまった気がする。


 そんな自分の気持ちを打ち消したくて



  「犬飼のバカヤロ〜〜〜!!!!」




 大きな声で叫んだ。



 その声を、雨がそっと包み込む。



 オレはびしょ濡れの頭をブルブルっと振ってから
 犬飼の下に走っていった。



end






back