―ただ、潰れるほど、まっすぐに愛しかったのだ。







*橙色の映る月*




 暗い部屋で、手紙をみていた。


 黄ばんだルーズリーフの切れ端に


  「明日、学校で待ち合わせな!」


 大きい堂々とした文字が、笑うように跳ねている。


 今朝、新聞の間に挟まっていた、一枚の紙。


 誰の文字か、一目で分かった。


 髪をかきあげ、苦笑した。


  「なにかの拍子に挟まったのかな。」


 笑って、紙をゴミ箱に捨てようとした。


 だが、文字に触れた途端、さまざまな思い出が蘇る。




  『白雪ー!』


  『いまの、すげーいい球だったべ?』


  『さっすが世界一BIGな男は違うなー!ナハハ!』 





 グラウンドの、埃っぽい匂い。舞う、ピッチャーの証の白い粉。


 グローブの油。キャッチャーミットの感触。ボールを受ける、感触。



  『白雪、ずっといっしょに野球やろうな!』 




 太陽のように明るい声を思い出し、僕は頭を軽く振った。


 手紙を捨てることを諦め、とにかくベットに横になった。


 今夜は満月の一日前。


 長い一人暮らしのおかげで、すっかり月の満ち欠けに詳しくなってしまった自分に、また苦笑する。


  (眩しいなぁ。)

 
 手で目を覆い、懐かしい面影を追い払うため、眠ろうと努力した。 


 

 翌日。埼玉選抜の監督として初の仕事だ。と、選抜候補の資料を貰った。


 夜、家に帰ってから、現役の球児の多さにに苦笑しながら、ページを捲る。


 誰を選んだらいいかなど、案外決めにくいものだ。


 将来性、スポーツマンシップ。


 勝利の二文字で終わらないのが高校野球なので、選抜方法は多岐にわたる。 


 1時間資料を睨んだだけて、すっかり疲れてしまった。


 手遊びのようにパラパラとページを捲る。


 黒撰高校。武軍高校。七橋高校。華武高校。……十二支高校。


  「あ。」


 母校を懐かしんで選手データを眺めると、見知った名前があり、思わず声が出た。


 『得意な投法』


 書いてある資料は全て、僕と、大神が考えたものだった。


  (ああ、もう。)


 集中の糸が完全に切れたことを自覚して、僕は目を閉じた。


 大神は頑丈で、真っ直ぐで。


 だから僕は先に死んで、大神だけは長生きして可愛い嫁を貰って。


 学生時代、そんなバカなことばかり考えていたことを思い出す。


 傍にいられる関係に甘えて、大神に感謝も、そして恋心も告げず、一人で想いを守り続けた。


 出会ってから、ずっと。別れてから、なおさら。


 気が付けば、また髪をかきあげていて、苦笑した。


 本当は、臆病だったのだ。


 感情に向き合うことすらせず、黙って想いを握り潰した。


 逃げていただけの自分が、どれほど情けない人間だったか、今では分かる。


 自分の本心を僅かでも見せていれば、ここまで後悔はしなかっただろうか。


  (ああ、痛いなぁ)  


 胸を突き刺す後悔から逃げるために、タバコに火をともす。


 パチパチと、タバコのタールを固めている飴が溶ける音がする。



 大神のことを思い出すたびに、僕のなかで、大神の存在が大きくなっていく。


 僕の人生を、大神は覆っているのに、もう、大神は、僕のことすら覚えてないのだろうか?




  …死ぬとは、どんな感覚なのだろう。大神は、今、幸せなのだろうか。





 灰皿を片手で探すと、昨日のメモが手に触れた。


 待ち合わせ。そんなことを、大神とメモでやりとりしたことなんて、あったっけか。


 想い出そうとしても、記憶が靄に包まれたようにはっきりしなかった。


  (いっそ、学校にいってみようか)


 不意に、そんなことを想ったら、なんだかそれもいいかな、という気になってきた。


 灰皿をみつけだした時には、もう、心は準備が出来ていた。


 まだ長いタバコをぐしゃり、潰す。 


 家をでると、月が昨日よりいっそう輝いていた。


 …今日は、満月のようだった。









 案外、母校に入るのは簡単だった。


 昔、遅くまで残って、街灯を頼りに野球をしていたことを思い出す。 


 いまだに警備がゆるいことが面白くて、少しだけ笑った。


 もし、大神に会えたら、なんて言おうか。


 決して起きることのない奇跡を想いながら、校内を探索した。


 真っ暗な校内は、かえって居心地のよさすら感じられた。


 下駄箱を通り、階段を上がる。


 (ここで、入部早々、レースさせられたっけ)


 大神の背に乗って、ぶんぶんと振り回されたことを思い出す。


  (1年生の時に負けた悔しさで、2年になったらすぐ、休み時間中に特訓させられたな)


 校内の生徒、教師の視線を痛いほど感じながら、大神におぶられ、何度も何度も階段を往復させられた。


 練習のせいでなくなった休み時間を、大神は「なんでも1つ、言うこと聞くから!」で誤魔化した。


  (結局、叶えてもらえなかった)


 嘘つき。口の中で唱える。 やがて教室の前に来て、僕はそっと、ドアを開けた。


 暗闇の中に、少し曲がって並べられた机と椅子が見える。 


 授業の記憶なんてほとんどない。 
 

 うるさい大神のせいで、「白雪おまえも同罪だ!」と教師に怒られたり、


 練習の疲れで寝てしまったり、 

 
 大神の、くせ毛の自由さに憧れたり。


  (ああ、また大神で記憶が埋まってる。)


 
 懐かしい記憶に引きずられる想いを、一度落ち着かせるために、メモを取り出し、見つめなおす。


 『学校で待ち合わせ』  


 多分、大神のことだから、待ち合わせ場所に教室は選ばないだろう。


 だとすれば。


 教室を静かに後にして、僕は階段をまた、下った。

 
  (グラウンドも、前と変わってないのかな。)


 高校時代の、ほぼ全ての想い出が詰まった場所が不意に懐かしくなり、
 裏庭を抜けてそっとフェンスをくぐり、中に入った。


 変わらない、土の匂い。吹く、夜の風すら懐かしかった。


 バッターボックスの後ろに座る。 


 壊れた時計のボールの跡は2つに増えていたが、昔のままの景色。


 だけどひとつだけ、たったひとつが、足りない。


 大神。


 こころの中で、大切な名前を呼んで、そっとグラウンドの土を触った。


 大神。きみに、会いたい。


 僕がきみをどれだけ大切に想っていたか、聞いてほしい。


 どうして、きみを大切に想っていたのか、聞いてほしい。


 きみが、どれほど僕を救ってくれたのか。


 今どれほど僕が絶望をいだいているのか、聞いてほしい。

 


  「大神、照。着いたよ。僕は、ここに、来た。」


 土を握り締め、嗚咽を溢す代わりに、大きな声で大切な名前を唱えた。


 広いグラウンドに、僅か、声が反響する。


 だけれど、待ち望んだ「お待たせ」も、「遅かったな」も、帰ってくることはなかった。


  (バカなこと、したな。)


 ひとり、グラウンドで残され、ここにくる前よりも更に孤独が自分を覆ったことに気づく。



 これ以上傷つく前に帰ろう。そう想って、立ち上がった時。


 白球が、どこからか、自分の手のなかへ、飛び込んできた。


 なぜ。疑問に想い周囲を見渡すと、懐かしい笑顔が見えた気がした。 



  (―大神…!)


 幸せすぎる奇跡に、声もだせず息を呑んだそのとき。


 身体がぐらり、傾いだ。

 白球を抱えたまま、慌てて地面に手をつく。

 途端、ひどい耳鳴りがして、意識が遠のく。 


 世界がぐるぐると回る。


 上もしたも分からない世界の向こうで、唯一、光がみえた気がした。


 それに手を伸ばそうとしたが、


 ぐにゃり、景色がゆがんだのと同時に、意識もまた、遠のいた。 






 
 土の匂い。草の匂いも、やけに近くに感じる。


  (頭、痛い)


 二日酔いのような感覚に顔を顰めながら、ぼんやりとした頭で周囲をゆっくりと見渡した。


 土の匂いがするわけだ。ここは、グラウンドだった。  



  (あのまま、寝ちゃったか…) 


 苦笑しながら、身体についた埃を叩きながら、立ち上がった。
 

 幸せな夢をみた。その夢を見れただけで、ここに来た甲斐は、あったのだろう。


 陽炎のような大神の姿を思い出し、久しぶりに感じる幸福をかみ締める。


 太陽の位置から行って、はやく帰らないと、選手が登校してくる時間だろう。


 まだ痛む頭を抱えながら、慌てて身支度を整える。


 …さよなら、大神。


 心のなかで奇跡にお別れを言ってグラウンドを出ようと、フェンスを開ける。


 ―しかしその瞬間、僕は驚き、その場で固まってしまった。





  「おー白雪!早起きだなー!」






 泥だらけの足。 ニッと歯を見せて笑う姿。 派手な帽子。 高校生らしからぬ、金髪。



  「さって!今日もいちにち、がんばろ〜〜!!」  



 驚くこちらを気にもしないで、あっけらかんと笑う姿。


 いそいそとトンボを取りに行き、ピッチャーマウンドを特に丁寧に慣らす姿。


 間違いない。


  「…お、大神?」


  「うん?」


 くるり、振り返る姿まで、全部、全部、大神だった。


  「大神、その、えっと。どうしてここにいるの?」 


  「練習っしょ!朝練!」


  「そう…だよね。でも…」


  「試験期間中だって? でもはやく今投げてる球を形にしたくてさー!」


 ナハハ、と照れたように笑う顔。   


 ふと、校舎の時計を見れば、ボールの跡が、1つ。


  (あれ、確か、昨日は2つ……)


 もしかして。と、非現実的な考えが頭を過ぎる。 


  「大神、今日って何年何月何日?」  


 帰ってきた答えは、7年前の日付だった。


 (過去に戻ってきた?)


 そんな非現実的なことがあるのだろうか。そんな一抹の不安と。



 さて、どうするべきか? 面白がる気持ちが、僕のなかで生まれた。

 
  (いっそ大神に、伝えてみようか。)


 小さないたずら心が勧めるまま、大神に、言ってみた。


  「ねえ、大神。 ボク、未来からきたみたいだ。」


  「…へ?」


  「うん。タイムスリップしたみたい。」


  「……えーーーーー!!!!」


 予想通りの反応に、僕は嬉しくなって笑った。 


 「え、白雪、え、ホントなのそれマジで!?」


 「うん。」


 「……すげーーー!!!」


 キラキラと目を輝かせる大神。


 嘘つくなとも、からかうなとも、言わない。


 僕を信じる、まっすぐな瞳。


  (やっぱり、大神といると心地いいなぁ)


 タイムスリップなんて異常事態も、大神の笑顔が見ると、特に気にならなくなった。


 久しぶりに感じる温かい感情に、僕はしばし常識を捨てた。


 にこにこしている僕に、大神は質問を投げかける。


  「いつから来た?」


  「7年前から。」


  「白雪、仕事してるの?」


  「一応、社会人だよ」


  「おっさんだー」


  「まだ22」


  「でもさ、どうして、過去に来ちゃったんだろーなー?」


 大神の無邪気な問いに、少し迷って、僕は、さぁ?と言葉を濁した。


  「ま!面白れーからいっか!」 


 笑って、大神は「社会人じゃあテスト関係ないだろ?球受けてくれよ!」


 僕にグローブを渡し、ピッチャーマウンドに立った。


 昨日と同じく、バッターボックスの後ろに立つ。


 思い出のままの、景色。


  「いくぜッ」
 

 明るい掛け声とともに、投げられたボール。 


 ズトン。という音とともに、まっすぐ僕のグローブに吸い込まれた。




 世界が停止したかと想うような、錯覚。


 心臓を貫く、衝撃。 


 泣きたくなるような、安堵。  




 強すぎる感情の渦に呑まれ固まった僕を、大神は勘違いして心配そうに



  「やっぱミットじゃないから痛かったか!?」



 慌てて駆け寄ってきた。




 ―確かに、手は腫れているだろう。


 ―でも、違うよ。痛いのは手じゃないよ。


 大神、大神。  


 大神、本当に、君なんだね。


 心配してくれる大神に言葉を返したくても、幸福に声を潰された僕は、ただ黙って頭を振ることしかできなかった。



















backnext