2
「タイムスリップしたってことは、白雪の家には、過去の白雪がいるんだよな?
今のお前と過去のお前が会うのはまずくねー?」
「…そうだね」
ホテルでも取るかと財布を開けるも、あるのは数万円と、カードのみ。
多分、ココでは存在すらしていない口座で。 …困った。
「んーと。じゃあさ、オレん家来いよ!」
「えっ」
「キャッチャーミットも取りに行きたいし、よし。帰ろう!」
大神はビシっと指を伸ばして、すぐに帰り支度を始めた。
「部室で着替えてくる。チャリで追いかけるから、先行ってて。道、分かるよなぁ?」
突然の展開に驚いている僕に、昔のままの言葉を掛けて、大神は部室へ帰っていってしまったのだった。
(”道、分かるよなぁ?”か。)
大神の言葉を反芻し、胸がキリ、と痛んだ。 もう、7年も行っていない。 だけど忘れるはずのない道を、頭の中で思い出していた。
大神の姿が見えなくなって改めて、鼓動がうるさいくらいに耳に響く。
突然の幸せに途方にくれて、僕はただ、グラウンドに立ち尽くしていたのだった。
数分、呆けていたらしい。
ぼんやりとしている僕に、支度を終えた大神は呆れたように声を掛けた。
「白雪、なんでまだここにいんの」
「…え。あ、ごめん」
「…もう。なんつーか大人になってもマイペースは変わんないのな」
すずめの魂、ひゃくまで?と、合っているのか怪しい言葉を呟き、
大神は、「早くしろ」と自転車のサドルの後ろを指差した。
「え?」
「だーかーら。乗せてってやるから、はやく乗れって!」
「もうボクは大人だし、そんなことできない」
「もー!かんけーないだろ、そんなん。ほら、いくぞッ!」
大神ははっきりしない僕に焦れたのか、無理やり僕の荷物を前カゴに突っ込み、
僕に逃げ道を与えず自転車の後ろに乗せて、勢いよくペダルを漕いだ。
懐かしい景色が高速で流れていく。
前を見れば、金色の癖毛が、風に踊っていた。
わずかに大神の匂いも、する。
その香りに包まれた刹那、恥ずかしいとか、そんなことは気にならなくなった。
ただ、幸せに包まれ、目を閉じる。
(太陽みたいな匂いが、するなぁ)
そんなことを考えていると、大神に「やっと静かになったな」と笑われた。
静かな静山。なーんちって。 大神のくだらないギャグに、不覚にも僕は笑ってしまった。
僕の笑い声を聞いて、大神も嬉しそうだった。
調子にのったのか、いくつもの、あまり面白くはないギャグ。
つまらないはずなのに、その空気が、声が、とてもとても、幸せだった。
…大神。 世界で一番、君が好きだよ。
不意に強く想った言葉を、目の前の背中に心の中でぶつけて、僕はまた、笑った。
午前7時。
大神の家に着いた。
大神は、小さい時に聞いた十二支高校伝説の投手の話が忘れられず、
はるばる県外から受験しにきた。という変わり者だった。
両親に無理を言っての一人暮らし。
狭い、狭いボロアパート。
「懐かしいなぁ…」
部屋の入った途端思わず呟いてしまってから、自分の失言に気づく。
だが、大神は特に気に留めなかったのか、「その辺座って〜」と上機嫌だった。
僕の定位置だったデスクイスに座ると、その変わらない感触にまたも笑顔がこぼれてしまった。
「なぁにニヤニヤしてんだよ気持ち悪い」
大神もまた笑いながら、僕の正面のベットに腰掛けた。
大神の体重でベットがギシ、と沈む。
そのしぐさで、案外大神って重いんだな。と気付く。
幽霊じゃないんだ、と安堵する。
(いや、この時代で幽霊なのは、僕の方かな?)
そんなことを思い、不安になっ身体を揺らしてみた。
ガタガタ、となるイス。
――大丈夫だったらしい。
安堵で僅かに息を吐くと、大神は不思議そうな顔をして僕を見つめた。
真っ青な瞳。
その瞳にぶつかり、僕は吐いたまま、息を吸うのを忘れた。
7年も会わなかったからか、改めてその青に魅せられる。
忘れよう。そう努めた想いは、記憶に深く沈めることで、
かえって色あせることなく、純粋に大神のことを慕い続けていた。
(まだ、こんなにも、好きなんだ。)
稲妻に打たれたような衝撃に固まってしまった僕に、大神は、
「ホント、大丈夫かお前?」
不審だ、と目を細めた。
「うん、ごめん」
痛む胸に手をあて、僕は素直に謝った。
「まぁ、いいや。なんか飲む?」
「えっと、冷蔵庫には…」
「そう!コーラしかない」
「…栄養、気を使いなさいね」
相変わらずだなあ。ため息をついた僕に、大神は「はい」と僕用のカップを渡してくれた。
真っ白なカップ。
工芸の時間に柄を書くのが面倒になった大神が、「白雪をイメージしてつくりました」と言い訳して誕生した、手抜きのカップ。
未来の僕の家では、なぜか取っ手の部分がとれていたので、物置にそっとしまってある、大切なカップ。
物思いにふけり、じっとカップを見ている僕に、大神はなみなみコーラを注ぎ、自分は残りをペットボトルからそのまま飲んだ。
「で。」
飲み終わると、唐突に大神は話をはじめた。
「なんでお前、過去にきちゃったんだろうな?」
『グラウンドにいったら、ボールが手に飛び込んできて、気が付いたら、過去にいました。』
自転車に乗せてもらいながら、タイムスリップした状況について、僕は大神にこう説明した。
大神はふんふん、と分かったような分からないような返事をしていたが、やはり、疑問は残ったのだろう。
まさか、ひとめ大神に会いたくて、ともいえなかったので、僕は「分からない」と短く答えた。
「そっか。」
大神は小さくうなづいて、ペットボトルをくしゃりと潰した。
「もし、だけど。
もし、過去に戻ってきたことに理由があるなら、オレに言えよ。
どんなバカな理由でも、おまえの力になってやるから。」
「……」
「ばーか、そんな顔するな」
白雪のこと、いじめてる気分になるだろー! 顔をギュっとつねられた。
大神は、いつでも僕にさりげない優しさをくれる。
僕のことを疑うことも、面倒だと避けることもできるのに、大神はただ、僕のことを気遣うだけだった。
つねられた頬が甘く痛む。
その痛みはいつしか心まで浸透して、僕の心臓をキリと刺した。
嬉しくて、優しくて、甘くて、恋しくて…痛かった。
僕が存在するはずのない世界で、亡くなるはずの大神に触れている恐怖が途端に襲ってきて
僕はコーラを飲むことで誤魔化した。
シュワ、と炭酸水が淡くはじける。
ありがとう、そう言わなければいけないのに
感謝を伝えることは、大神の言葉を認めることで。
ごめんと謝ることもできない僕は、笑顔を作ることしかできなかった。
「おいー!痛いとか言え!!白雪のばか!」
口を尖らせる大神に、思わず好きだと言いそうになった。
その言葉もまた笑顔で潰して、僕はアハハと声を出して笑った。
大神も、こんどはつられて笑ってくれて、2人でしばらく笑いあっていたのだった。
nextback